| 第1巻 菊と武士道 1853年〜1872年 |

皇軍とは、天皇統帥の軍隊である。「あれ程精強な軍隊は、二度とこの地球上に現れまい。」とその無敵を謳はれた帝国陸海軍。光芒放つその栄光は、1945年、運命の8月、人類が初めて経験する原爆の閃光と共に潰えた。星霜ここに半世紀。短くもまた美しく、流星の如く消え去った皇軍八十年の歴史を紐解く。 |
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| 第2巻 治乱興亡 1873年〜1888年 |

西暦1882年(明治15年)明治天皇は大元帥として「軍人勅論」を下賜された。勅論は建軍の本義を顕らかにし「朕は汝等軍人を股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎ…」と宣い、日本軍隊の天皇親率を明確にし、軍人が練磨すべき徳目を忠節、礼儀、武勇、信義、質素の五項目に示し、政治不関与、誠心もって軍人の本分に専念するよう諭された。建軍以来、兵制改正と国内安定に傾注してきたが、漸く揺監期を過ぎ、迫り来る列国の脅威に向け戦略転換、対外防衛に総力を挙げる時期を迎えた。 |
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| 第3巻 わたつみの旗 1868年〜1872年 |

海軍の軍備拡張に見通しがついた。備えるは出師決戦の海軍力ではない、「侵しがたい国家」の象徴であり、来たりなば鎧袖一触の戦力である。この時期、帝国海軍は未だ揺監期にある。然しながら艦隊を率いる提督、及び艦長らの武人としての資質は、日本武士道の精神に立却し、先進諸国の将官と比較していささかも遜色ない。 |
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| 第4巻 試練の外征 1889年〜1912年 |

明治維新後、僅か20年にして近代国家の態様を整え、民族発展の活路を海外、特にアジア大陸に求めた。列強の外圧に抗して、民族の命運を賭して戦った日清・日露の戦役は文字どおり挙国一致、己むを得ざる皇国防衛の戦いであった。天皇親率の軍隊が、多大の犠牲と引換えに勝利を勝ち獲った明治後半は、正しく国運隆昌の栄光に輝いた時代であった。 |
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| 第5巻 皇国の興廃 1889年〜1905年 |

「君主は君臨し、統治する」1889年、明治22年2月11日、「大日本帝国憲法」が発布された。憲法の制定により、独立近代国家としての姿を内外に顯示し、建国の道を拓くと共に、その国体を護持する軍隊は、アジア情勢とあいまって増々強化されていった。明治38年5月27日、遠くヨーロッパから回航したロシア・バルチック艦隊と戦った帝国聯合艦隊は、世界の戦史に残る大勝利を収めた。以後帝国海軍は、欧米列強を凌ぐ大海軍への邁進していく。 |
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| 第6巻 芒々千里 1912年〜1941年 |

昭和16年4月16日、ハル米国々務長官と野村駐米大使の間で、第1回日米交渉開始、6月に至り、石油輸入継続を求める蘭印交渉も決裂、南方情勢はにわかに険悪となった。7月26日、対日資産凍結発令、英国、オランダこれに追随、8月1日、米国は対日石油全面輸出禁止決定。座して民族の滅亡を持つか、決然起ってアジアの独立を勝獲るか、迫り来る運命の岐路に立つ帝国は、和平の意志なきアメリカに絶望し、隠忍自重の限界に至り、「止むなき聖戦」への道を選んだ。 |
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| 第7巻 亜細亜の曙 1905年〜1941年 |

明治40年4月4日、帝国初の国防方針及び用兵綱領決定、国防は露、米、仏、独の順をもって仮想敵国とする、国防に要する兵力、陸軍25個師団、海軍最新式戦艦8隻、最新式装甲巡洋艦8隻とこれに要する補助艦艇、いわゆる八八艦隊構想が明示された。8年の歳月を経て成立を見たこの構想は、大正10年11月12日より開催された「ワシントン海軍軍備制限会議」で完全に崩れ去った。昭和9年5月30日、国難に処して邦家を泰山の安きにおいた名提督東郷元帥が88歳で栄光に輝く人生を閉じた。元帥の遺訓は、訓練につぐ訓練、猛訓練の伝統は、月月火水木金金の海軍スローガンを生み出した。昭和10年1月15日、「ワシントン条約」有効期限満了と同時に失効、国際軍縮制度は無条約時代に入った。日米建艦競争激化。昭和14年9月27日、「日独伊三国同盟」調印。そして帝国海軍は、390隻、150万トンの大海軍を築き上げ、世界の二大海軍国アメリカ・イギリスを相手に、今、国運を賭けて運命の日を迎えようとしている。 |
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| 第8巻 止むなき聖戦 1941年〜1945年 |

1941年、昭和16年12月8日、帝国陸海軍は、南西方面及び西太平洋に於て、米英軍と戦斗状態に突入、雌伏十年、民族の興亡を賭けた聖戦に起ち上がった。陸軍はマレー半島コタバルに敵前上陸、海軍の真珠湾攻撃に先立つ1時間50分前であった。この時コタバル守備のドグラス大隊が発射した第一発が大東亜戦争開始の第一弾となった。翌17年2月15日、大英帝国が百年に亘り支配した「東洋の牙城」シンガポールは、帝国陸軍第25軍の電撃的進攻作戦の前に脆くも潰え去った。陸海軍共に緒戦の活躍は華々しく、中国大陸に、南方諸島に、北はアリューシャンまで破竹の進撃を展開したが、1941年、昭和20年8月6日、広島、同月9日、長崎に2発の原子爆弾炸裂、無差別大量殺戮の無惨を見て、戦争継続の途は絶たれた。 |
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| 第9巻 運命の転機 1941年〜1945年 |

1941年、昭和16年11月26日、北の最果てエトロフ島ヒトカップ湾を静かに滑り出す大機動部隊の姿があった。空は北国特有のニビ色に重く暗い、鉛色の海上に先陣切る水雷戦隊、ついで比叡・霧島の戦艦が続く、「第一警戒航行序列」赤城、加賀、瑞鶴、蒼龍、飛龍、翔鶴6隻の空母を中心に重巡利根・筑摩、駆逐艦11隻、潜水艦3隻よりなる大輪型陣が布かれた、世界の戦史上初めて編成された大航空艦隊の出現である。目標、ハワイ・オアフ島真珠湾在泊、アメリカ太平洋艦隊の一挙殲滅にある。マレー沖海戦、インド洋作戦、痛恨の特攻作戦を経て、帝国海軍は歴史の表から、その姿を永遠に消し去った。 |
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| 第10巻 国破れて山河あり |

この作品は、今は亡き帝国陸海軍を偲ぶ、回想の卑文である。明治建軍以来、近代国家建設を支え、多くの軍神・功労者を輩出、幾百万英霊の御魂は靖国の杜深く鎮まる。往古より、天空に聳ゆる富士ヶ嶺の姿こそ、誇り高き民族の象徴である。干戈の響きすでになく、兵去りて静寂の夏、母なる国流るゝ雲よ、あゝ国破れて山河あり。 |
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